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おまけ

2017年7月18日 (火)

太龍寺の滝

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この前、五岳山と札所の結びつきについて書いていたら実際にそれが進行していてシンクロニシティにびっくりしましたが、太龍寺の滝のことが「高野山時報」の『遍路春秋』⑫に出ていてびっくり、と言いたいところですが、お四国の場合はよくあること・・・。

2017年7月16日 (日)

ブラタモリ79「秩父」

ブラタモリ(7/15放送)で秩父が取り上げられました。秩父の名物のVTRで秩父巡礼は出てこないので、今日は触れられることはないのかなと思いました。28番橋立堂の場所も出ましたが巨大な石灰岩にスポットライトが当たり、札所のことには触れられず。この橋立堂の場所は海底火山(玄武岩)の上に珊瑚礁(石灰岩)があり、それが太平洋から移動した後に斜めになって、石灰岩と玄武岩の境目の部分が雨川の浸食により突出した地形なのでした。そして、19番龍石寺が登場。先達らしき地学科教師が登場しました。百観音巡礼についても草彅さんのナレーションで説明がされました。秩父は奇岩奇窟の霊場です。そのあたりが信仰対象となり札所となった理由と説明されていました。近畿一円の西国霊場と関東一円の坂東霊場という大きな霊場に何故か秩父という小地方の巡礼が合わさって百観音。凄いことです。江戸時代、年間で四国2万人、西国3万人に対し秩父は1ヶ月4万5千人の巡礼者とのこと。NHKオンデマンドなら有料ですがまだ見られかも。受信料払ってるのに、何故有料なんでしょう?
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NHKオンデマンド


2017年7月12日 (水)

五色台2

五色台の今の各色の山は白峰と青峰以外は最初の五山と違うと言われています。実際、澄禅日記には、赤峰は吉水寺、黒峰は馬頭院とあります。黄峰ですが、来峰神社ではないかと推理してるのですが、どうでしょう?

2017年7月 9日 (日)

六十六部2

六十六部の納経所は当初は一宮・国分寺でしたが、江戸中期には別の寺社も含めた一定の寺社に固定化されてきたようです。
小嶋博巳教授の論文に出ています。
六十六部廻国とその巡礼地

六十六部納経所

西国や四国では巡礼札所が、また山伏の修行地、根拠地が多く選ばれています。しかしながら小嶋教授の論文にも書かれているとおり、リスト化された納経所は絶対ではなく、巡礼者が選んだ霊場に納経していたため宗派も雑多であり、霊場への拘りより回国に重きが置かれていたことが窺われます。

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四国四神相応4

武田和昭「四国へんろの歴史」に増吽僧正が制作したであろう「大水主大明神和讃」のことが出ています(P49)。「三つの御山の中にして、三所の霊号比べなく那智新宮を左右に立て、本宮證誠を玄武とし、左青龍の河清く、那智の滝より落ち来らん、新宮丸右にあり、・・・」とあり、熊野三所権現を四神相応の玄武、青龍、白虎の北と東西に見立てています。ここで南・朱雀がない点はありますが、神仏混淆の時代の当時の仏教界と四神相応の発想が連結することは不思議なことではなかったことが分かりました。
四国四神相応
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2017年7月 7日 (金)

武田和昭「四国へんろの歴史」

讃岐の仁尾のお寺、円明院のご住職による凄い本です。四国へんろの歴史研究の集大成。現在のへんろ研究の最先端が全てと言っていい程分かる優れた研究書です。研究者のみならず先達を初めとしてへんろの薀蓄が大好きな人々の必読書と言えましょう。特に増吽僧正をキーマンと見る慧眼に感服です。
一点、弘範のへんろに対する思想を弘範独自のものとするところですが、増吽と四国辺路の日記の板の間のへんろの様相が定かではない現時点では、まだ断定するのは早い気がします。

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2017年7月 6日 (木)

卒塔婆ヶ滝3

卒塔婆ヶ滝が鳴滝ではないかと書きましたが問題がありました。
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霊場記の太龍寺には滝が描かれいます。やはり、太龍寺側には滝があるのでした。
加茂谷元気なまちづくり会
太龍寺の山には色々と今では知る人が少なくなった滝があるようです。これらの滝と卒塔婆ヶ滝との関連はまだまだ分からないことがあります。
袖ヶ嶽
などと調べていたらソデガタキを発見。昔に比べネット情報が多くて色々と分かってきますね。

2017年7月 1日 (土)

土佐代理札所2

納経帳から見た、幕末から明治初期の遍路道の変更
稲田教授の別の論文には下記の代理札所が載っています。
40 真蔵院光明寺
41 円福寺
42 文殊院
43 伊予八幡山神宮寺
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に書いた光明寺、円福寺も解明されています。

六郷満山183霊場

大分県の国東半島にある六郷満山。183ヶ所の巡礼記があります。その六郷満山も来年開山1300年です。
六郷満山1300年
こちらも楽しみです。六郷満山の183ヶ所は今では分からなくなっていましたが、今年、天台宗僧侶の峰入りで確認できたようです。現在の一般巡礼は宇佐神宮+33寺院になっています。
・・・と思ったら宇佐神宮を入れて31ヶ所になっている。
宇佐神宮六郷満山霊場
どうやら2種類の巡礼があるようです。
こういうのは巡礼者からみて分かりにくいのでヤメてほしいのですが、何らかの事情で改変もしくは再編されたのでしょうか?
六郷満山は始め仁聞菩薩が28寺院を開創されたとのこと。その後にその28寺が本山(学問)、中山(修行)、末山(布教)に分けられ本寺となり、それにその末寺が計37寺加わり合計65寺院だそうです。これと宇佐神宮弥勒寺を合わせて六郷六十六ヶ所がおもしろかったような。現存していない寺院があるからしかたがないのでしょう。
六郷満山峰入り
来年は一般の峰入りがあるようです。
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第4回巡礼遍路研究会

6月24日に西国22番総持寺で第4回巡礼遍路研究会の発表がありました。中西隆英総持寺住職の講演として「西国三十三所草創1300年」について語られました。記念撮影と本堂特別拝観の後、西国29番松尾寺の松尾心空住職「胎内くぐりの旅・西国巡礼」、種智院大学元教授の佐藤久光さん「西国観音巡礼の特徴」、瀬戸善亨さん「四国遍路と森田療法の関係性」、愛知学院大学准教授の中野健秀さん「大学生がゼミ活動で行なっている四国遍路」について発表されました。
西国「草創」として1300年。開創とすると花山法皇からでしょうから1000年余りのはず。1300年は徳道上人が閻魔大王から宝印を預かったとされる718年からの起算なのでした。
ところで、ここからは講演とは関係ない話。この預かった宝印ですが、一般には33個説で通っていますが1個説もあります。笈摺に一個押して巡礼許可とするものです。まあ、全部廻った証明にならなくなってしまいますが。
中西住職は徳道さんは宝印33個を各観音霊場寺院に受け取り拒否されて中山寺に隠すことになったと説明します。疑問点は徳道上人はなぜ諦めたかがハッキリしない。閻魔大王の命ならそう簡単には諦めないと思うのですが・・・寺院も拒否する理由が薄弱。
草創1300年は四国1200年より古いんだという歴史的意味合いなのでしょう。
あと西国はサイコクと読むのが正式とのこと。住職もサイゴクと言ってしまうそうです。sikokuとsaikoku。アルファベットにしてaの有無の違いだけになるとは。
松尾住職は面白い話をされていました。炭素60の話と思いますが、サッカーボールを持参されておりました。サッカーボールは正五角形と正六角形が合わさって出来ています。それが32面です。切頂二十面体で検索してみて下さい。5角形が12枚、6角形が20枚になります。5×12+6×20=180とも。32にあと1で33だなあは私の感想。奥が深くてよく分からなくなる話。
次回は来年6月23日に高野山大学で予定されていますが、高野山か難波サテライトかは未定だそうです。テーマは写し霊場とのことでした。
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