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2017年9月24日 (日)

神櫛王墓と佐藤継信墓

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神櫛王は景行天皇第10皇子とか
八十場の伝説、讃留霊王はこの方との説が
この辺りの東讃地区の伝説
ちなみに西讃地区では日本武尊の王子、景行天皇の皇孫の武卵王という別の伝説が
何れにせよ、神櫛王の3世孫が初代讃岐国造といいます


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近くに佐藤継信の墓があります
屋島寺から下ったところにある佐藤継信の墓は石碑のみで本当の墓ではないとか
屋島の佐藤継信墓





実際に亡くなった場所の射落畠

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この2人のお墓の側に菓匠柴野
菓匠柴野

朝早いのでまだやっていませんでした。
庵治石のような和菓子や石ころシュークリームを売っています。


一鶴

先週、台風で四国に渡れず急遽、今週四国へ
かつては順番に回っていた遍路も最近は乱れ打ち状態
阿波一国、久万高原2寺、三角寺〜弥谷寺、八栗寺〜大窪寺が残っています
いつもなら八栗寺〜大窪寺は最後にするのですが、今回はバスで高松に行き古高松南駅から行きましょう
で、高松泊
長尾寺から琴電で戻ります
これは一鶴に行くため
丸亀〜高松間は、昼うどん、夜一鶴が定番化しています
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私の場合はまずアジの三杯酢を食べます
その後にトリが来ておむすびと食べて終了

2017年9月21日 (木)

寂本「四国徧礼霊場記」71

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西林寺

本堂と鎮守の三所権現。現在のお寺にも三所権現は祀られているのだろうか?囲いの外に寺と杖渕。




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名所図会では大師堂らしき御堂が増えている。


2017年9月18日 (月)

吉田ダムの遍路道

屋島の下り遍路道も急降下する遍路道ですが、最も急降下するのは吉田ダムの遍路道でしょう。
地図はこの辺
吉田ダム

入り口には柵

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近づいてみると

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お遍路さんは通行可能です。というか通らないと先へ進めません。

何か恐ろしげなところへ出ますが遍路↓マーク。飛び降りろ?
*ここにたどり着く前に浮かぶ球とか巨人とか怖ろしげなものは他にもありますが省略。
現地確認願います。

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更に遍路→マーク

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何じゃこれは!

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階段を下りていきます。逆打ちは大変。

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真っ縦も真っ青?

寂本「四国徧礼霊場記」70

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八坂寺

正面には鎮守熊野権現がある。鐘楼があり、本堂は左隅の方にある。今の大師堂の位置か、もしくは柴燈護摩壇のあるあたりだろうか。寂本によると今の本尊は恵心僧都作の阿弥陀如来であるからその時代より前に弘法大師の時代の旧本尊が無くなる荒廃があったという。そして寂本は今もまた荒廃している寺のことを嘆いている。

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名所図会でも配置は同じ。ただし、正面にある鎮守社が本堂に、旧本堂の場所は大師堂に変わっているようにみえる。今と同じ配置となる。

2017年9月17日 (日)

寂本「四国徧礼霊場記」69

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浄瑠璃寺

門前に川。この川は今は長珍屋の中を流れている。右側に寺(寂本は文中で左と書いているが、「霊場記」では本尊から見ての左右なので図と違っているわけではない)。今と逆側。本堂と鎮守の牛頭天王。寂本はこの本堂の様は常と異なると言っている。どこに違いがあるのかは書いていない。

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名所図会では寺坊の配置は今と同じになっている。

大地の子守歌

安いのでDVDを買ってしまいました。
この映画は私が遍路をするキッカケになった映画。
と言っても、映画そのものを見たわけではないのです。
小学生のときにこの映画の解説をテレビで放送していて、キリスト教の神父が少女を舟に乗せて逃がしてあげて、少女におへんろをさせるというシチュエーションでの説明がありました。
そしてその時、四国に八十八ヶ所のお寺をハンコを貰いながら回る風習があるのを初めて知ったのです。
その時、強烈に何時かおへんろに行きたいと子供心に何故だか分からないけど思ったのが始まりなのでした。
映画そのものはおへんろを開始した後10年くらいしてから図書館のビデオコーナーで見ることができました。当時DVD化はされていませんでした。映画におへんろのことがでるのはほんのチョットです。

原作が「旅の重さ」の素九鬼子というのもその時知りました。
大地の子守歌Img_2617


2017年9月16日 (土)

SAVVY9月号

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京阪神エルマガジン社はお遍路本出版の常連です。7月に出た月刊サヴィ9月号で四国お遍路旅特集をしています。120ページでボリュームがあります。600円

寂本「四国徧礼霊場記」68

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岩屋寺

2頁建。右の図は竜池から岩屋寺。左の図は白山逼割行場近辺。右図右下の竜池の横の橋を渡り寺まで三町。寺は2つの建物を回廊で繋ぎ、その下を通る。不動堂と大師堂も回廊で繋がっている。不動堂の傍には仙人堂への梯子がある。大師堂の傍には丹生、高野の両明神。生木卒塔婆がある。今も残っているのだろうか?岩屋へは一ノ王子、二ノ王子があり仙人窟と阿弥陀像、卒塔婆、宝塔。左図には勝手(明神)から右手にセリワリ、左手は子守、大那智と道が続き一ノ王子。八丁坂に続く道か。セリワリを上がると白山、別山、高祖権現。奥にアミダ峯。仙人窟に上るのは今は厳しそうだが、ほぼ現在の状況から図内の配置がそのまま投影できる。岩の穴に卒塔婆は二本あり、大師が両親の供養に立てられたものとある。一本は延宝7年1679年に大風で無くなったとある。人が行けないような岩穴の中にあるため飛来仏と言われる阿弥陀如来は鉦鼓(空也上人が頸に掛けて持っているアレ)を持っているとある。
明治31年1989年に一旦は全山焼失しており貴重な資料も無くなっていて残念なことではある。

2017年9月10日 (日)

郷照寺〜坂出の遍路道

大吉地蔵
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大吉地蔵にお願いした後は閻魔堂にお参りし、聖徳院に寄りましょう。

聖徳院
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聖徳太子所縁のお寺であるばかりでなく菅原道真公の因縁もあり天満宮が

聖徳太子二歳立像
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鵜足之松天満宮
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宇多津は元々は鵜足津と表記したとか

宇多津の古い街並みを通り
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何でしょう?近くによると芸術作品と分かります。小豆島では街中に芸術作品が飾ってありました。瀬戸内は国際芸術祭が3年おきに高松港と小豆島・直島などの島で開催されていて坂出の沙弥島、丸亀の本島、多度津の高見島なども会場に。宇多津の島はありませんが沙弥島はすぐ近くで関心が高いのかも

で、まっすぐ進んでいくと
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たけさん??
何の意味でしょう。今もわかりません。

表示に従っていくと
ヘンロ小屋42号
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つづいて長楽製麺所があります。
長楽製麺所

で、ふと上を見ると

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民家の中にオベリスク

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阿比留八右衛門善誉教主とありました。光明真言250万遍の記念のよう。

その先の交差点に
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国民旅館松竹
かつては遍路宿であったのでしょうか

この交差点にはもう一つ見逃せない場所が旅館松竹の反対側に
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標石があり
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これは聖通寺奥之院への道

そして田尾坂公園を通って坂出の商店街へ入っていきます
公園の手前にお不動さん
大日みかえり不動尊
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