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おまけ

2016年10月17日 (月)

太龍寺納経所

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新しい納経帳に太龍寺の宝印を頂いたのですが、従来使用している納経帳と同じご本尊の書き方でした。

21old
これを最初にいただいたときは何と書いてあるかわからない、適当に書いてるように感じましたがが十数年同じです。虚空蔵大士と今は読めます。なかなか味のある良い書体。納経所でこれを書いていただいたおじさん、最初は疑問に感じて申し訳ございません。今後も元気でこの字を書き続けていただくようお祈り申し上げます。
さて、太龍寺の手ぬぐいは竜のデザインが好きなのですが売り切れでした。別のデザイン(多宝塔など)の在庫が残っており、竜のものは売り切れ応対が続くようです。

2016年10月16日 (日)

卒塔婆ヶ滝2

Narutaki1_2
1月18日で触れた鳴滝に行ってみました。場所は恩山寺の裏手とも、立江寺と鶴林寺の間の場所ともいえるところです。徳島市内になります。
http://bangai.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-e513.html
山中というより勝浦川に合流する直前、平地に面した滝でした。かつて唐から弘法大師が投じて日本に飛来した卒塔婆がこの地に保存されていたとの伝説です。この卒塔婆を削って服用すると薬になったようで、現存はしていません。
滝の横に大師堂があります。
Narutaki2
推測ですが、「四国徧礼絵図」のソトバガタキは場所から言って舎心ヶ嶽を書こうとしたところ、混同して近くの卒塔婆ヶ滝=鳴滝を記載してしまったような気がします。

http://bangaifudasho.web.fc2.com/narutaki.html

2016年8月 6日 (土)

性空上人墓

Shoku


霧島神宮の別当寺跡に性空上人のお墓がありました。性空上人は若いとき霧島修験道の整備をされたようです。その後、書写山に入り西国巡礼の大先達の一人といわれるようになったのはご存知のとおりですが、円教寺奥之院の弥勒寺にお墓があると思っていたのですが、縁の深い霧島の地にもあったのでした。性空上人は霧島六所権現を六観音になぞらえたといいます。この複数観音の信仰が後々、西国巡礼につながっていった可能性はあると思います。

2016年7月 5日 (火)

第3回巡礼遍路研究会

6月18日に善通寺遍照閣で第3回巡礼遍路研究会の発表がありました。樫原善通寺管長の講演ののち、石手寺の加藤住職「衛門三郎伝説の考察」、村上さん「写し霊場の巡礼者の研究」、東近さん「真念庵の調査」が発表されました。この中で加藤住職の発表の冒頭の部分が興味深いものでした。ネットに上がっています。
http://nehan.net/buddha-dharma/emontosangousiiki.pdf
 『衛門三郎伝説の最古の記述は石手寺刻板(以下)であり、それを底本に考える。淳和天皇の天長(831)辛亥の戴、浮穴郡江原郷の右衛門三郎は利欲にして富貴を求 め、悪逆にして仏神を破る。故に人の男子頓死す。それより髪を剃り、家を捨てて四国辺路に順う。阿州焼山寺の麓に於て病死するに及び、一念に伊予国司たらんことを言ひ望 む。ここに空海和尚、一寸分の石に塚右衛門三郎の銘を切り、左手に封づ。年月を経 て国司息利、男子を生み、家を継ぎて息方と号く。件の石を当寺本堂に置かしめおはんぬ。 (原文漢文・永禄十年(一五六七)四月の日付がある、河野通宣による「石手寺刻板 」)』
8の数字(坂寺も)が目立つ衛門三郎譚(三郎は3だが)は1567年までさかのぼるということでしょうか。四国遍路と8の数字の連結はこの頃には確立していた可能性があります。伊達政宗と真田幸村の生まれた年であり、松永弾正と三好三人衆の戦で奈良の大仏が焼けた年でもあります。戦国時代の前半戦が終わり中盤の時期。下剋上が起こる中で河野家再興譚として生まれた物語・・・にしては世俗的な物語ではなく単純で一方的なものではありますが仏教的倫理観を重点にした教訓話に読めます。前回も石手寺と遍路成立時期の関連考察がありました。この点で重要なテーマであることを今回の発表会でも感じました。
次回は西国札所総持寺で西国巡礼1300年記念発表会(要はテーマは西国巡礼)となるようです。

2016年5月23日 (月)

南土居大日堂

48番西林寺を出て前の道からしばらく行って左折し松山リハビリテーション病院の手前の道沿いに大日堂があります。ここに大日堂があるのは見逃していましたが数年前にあることが分かり、一つの法則の裏付けとなるのではないかとちょっと感慨深い出会いです。

Img_0595

12と21の倍数の札所は虚空蔵菩薩か大日如来という法則です。

12・・・虚空蔵
21・・・虚空蔵
24・・・虚空蔵
36・・・35奥之院、36奥之院に虚空蔵
42・・・大日
48・・・南土居の大日堂
60・・・大日
63・・・香園寺の大日
72・・・大日
84・・・?
96・・・89を10とし、90は9・・・4・・・大日

屋島寺は元は普賢菩薩の霊場で今は千手観世音。大日如来か虚空蔵菩薩との関係は明確にはないが,、何かありそうなお寺でもある。また次番の八栗寺は弘法大師が虚空蔵求聞持法を修した寺であるからこちらに由縁かもしれない。

2016年4月 5日 (火)

遍照院松浦寺

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遍照院松浦寺では、改修工事の寄進募集中です。
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山門のずっとビニールシートで覆われていた部分も修繕されるとよいですね。

2016年3月27日 (日)

西鉄特急

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(A)
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(B)

(A)と(B)、特急はどちらでしょう?

正解は(B)

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(A)は普通・小郡行でした。西鉄は特急っぽい車両(南海「こうや」に似ている)でも普通。逆に(B)の普通っぽい車両が特急・大牟田行。特急料金を取らない西鉄は車両運用に区分がないのです。
関西では阪急が同じようなスタイルですが、車両の違いが結構目立つので、何となく不思議です。

2016年3月26日 (土)

彦根山彦根寺

彦根山の図ですが、謎の記載があります。
「三十二番札所 観音堂」
下に解説文が書いてありますが、最後の二行に「南ノ観・・・札所と・・・」とあるのがどういう意味か気になります。
彦根寺は今の彦根城にあった寺で、築城後は移転し北野寺になっています。御本尊の観音様は藤原北家所縁の聖観音様で、白河上皇も参詣されたといいます。本来西国33所に加わってもおかしくはない由緒がありますが、32番は承知の通り観音正寺で、この図の表記は全くの謎です。

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2016年3月10日 (木)

唐渡大師と開元寺

Img_0214長崎県平戸市の北岸の田ノ浦は弘法大師空海が乗った遣唐使船が出航した場所です。開元寺という礼拝所と唐渡(とうと)大師像があります。

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2016年2月 6日 (土)

沖浜稲荷神社

Img_1158_3沖浜稲荷神社は博多区の対馬小路にあります。水炊で有名な長野の近所です。ここは、唐から帰朝した空海が稲荷明神から高野山開創を勧められた場所で、空襲で焼けるまでは大師堂(光照寿院)もあったそうです。

http://yahoo.jp/lJRcE9

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